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2017年12月14日 (木)

ヨハン・テオリン『黄昏に眠る秋』

詩人の岩城誠一郎さんのお薦めでヨハン・テオリンの推理小説『黄昏に眠る秋』(三角和代訳・ハヤカワ文庫)を読んだ。

すばらしい小説である。推理小説としてだけではなく、純文学作品としても優れた一冊だと思う。

テオリンは1963年にスウェーデン、ヨーテボリ生まれ。ジャーナリストとして活動するかたわら、2007年に本書でデビューし、スウェーデン推理作家アカデミー賞優秀新人賞と英国推理作家協会優秀新人賞を受賞した。

スウェーデンのエーランド島が舞台。人口は少なく、荒涼とした風景が広がる静かな島だ。

主人公ユリアはその島の出身で、今はヨーテボリで介護士をする四十代の女性。何十年も前に行方不明になった息子のものと思われるサンダルが、施設で暮らす高齢の父イェルロフから届く。

ユリアは疎遠になっている父に会いにいき、一緒に息子の行方を追うことになる。

二人の距離が少しずつ縮まり、事件の真相が明らかになっていく。心理描写の巧みさ、展開の妙に驚かされる。

推理小説はほとんど読まないが、一時期ジョン・ル・カレに夢中になった。ル・カレはイギリスの出身のスパイ小説の巨匠。村上春樹さんの小説に出てきて、その名を知った。ベルリンの壁が崩壊する前の西欧を舞台に活躍する諜報部員を描いた『寒い国から帰ってきたスパイ』はとてもよかった。

この小説は庶民が登場人物で、高齢の父が推理し、過去をさぐっていくというもので、派手さがないが、過去にあった事件を織りこんでスリリングなストーリーを展開する。

ユリアが赤いフォードを走らせて島へ向かうシーン、島の人々の生活などがクールな文章で描かれていて、一気に読んだ。

二作目の『冬の灯台が語るとき』も購入した。年末の愉しみにしたい。

2017年12月 3日 (日)

「現代詩年鑑2018」

先月末に「現代詩年鑑2018」(思潮社)が発行された。2017年に発行された詩集や詩誌、発表された詩を一望することができる。

冒頭の「展望」鼎談は吉田文憲さん、川口晴美さん、山田亮太さん。

「展望」というテーマでわたしも「この世界を確認するために」と題して、中堅の女性詩人の詩集13冊について書いている。

河津聖恵さんの『夏の花』(思潮社)、徳弘康代さんの『音をあたためる』(思潮社)、中神英子さんの『夢に見し木の名前を知らず』(栗売社)、井坂洋子さんの『七月のひと房』(栗売社)、川田絢音さんの『白夜』(書士子午線)、、岩阪恵子さんの『その路地をぬけて』(思潮社)、松尾真由美さんの『花章―ディヴェルティメント』(思潮社)、陶原 葵さんの『帰、去来』(思潮社)、北川朱実さんの『夜明けをぜんぶ知っているよ』(思潮社)、林美脉子さんの『タエ・恩寵の道行』(書士山田)、水出みどりさんの『夜更けわたしはわたしのなかを降りていく』(思潮社)、中堂けいこさんの『ニューシーズンズ』(思潮社)、多和田葉子さんの『シュタイネ』(青土社)。

すでに評が出ているものばかりなので、改めて書くことのむずかしさを感じた。

「展望」の執筆者は季村敏夫さん、野沢啓さん、新延拳さん、杉本徹さん、神山睦美さん、八木幹夫さん、石田瑞穂さん、時里二郎さん、藤原亜紀子さん、田島健一さん、野口あや子さん。それぞれの論考と鼎談を読み、自分の解釈がさほどずれていないことを確認して、ほっとした。

詩集を読むには体力が要る。それについて書くには何度も読むことが必要になる。

初めは苦手だと思っていた詩集も、くりかえし読むうちに愛着を覚えるようになっていった。この体験は収穫だった。

今年はいつもの何倍も時間をかけて詩集を読んだ。詩人が全身全霊をこめて生みだした作品はどれもみんな尊いものだと思う。

ひとつわかったのは文章を書いているときは詩を書くことができないということ。そういうひとも多いのではないかと思うが、わたしも表現したいという欲望が満たされれば詩でも評でも、どちらでもよいのだ。

というわけで、興味のある方はぜひ「現代詩年鑑2018」を手にとってみてください。表紙の写真と色合い、レイアウト、とてもすてきです。

2017年11月23日 (木)

『メッセージ』を観る 

『ブレードランナー 2049』で話題の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画『メッセージ』(2016)を観た。地球上に12の宇宙船が降りたち、世界中が不安と混乱に陥る。宇宙船は巨大なアーモンドを立てたような形で、数メートル宙に浮いている。

12のうちの一つは北海道ということになっているけれど、北海道は出てこない。映画の舞台はモンタナ。エイリアンの言語を解読するよう軍から依頼された言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)が主人公。

18時間ごとに宇宙船の扉が開かれ、そのときにヘプタポッド(七本足)と呼ばれているエイリアンが現れる。高度な頭脳を持っている彼らはタコに似ていて、表義文字(セマグラム)を使う。

ルイーズは自分の名をボードに書き、単語を次々におしえていく。エイリアンが墨を吐くと壁に丸が描かれ、途中の変化が意味をあらわすようになる。

エイリアンは何が目的で地球に着陸したのか。その答えを聞く前に宇宙船は飛び立ってしまう。

途中まで画面は暗く、ルイーズが娘と思われる少女と遊ぶシーン、眠る少女にルイーズが「戻ってきて」と呼びかけるシーンなどが断片的に挿入されていて、時間の流れがわかりにくくなっている。

エイリアンと交信することで、時系列の時間意識が消えたということなのだろうか。

娘の名はHannahで、前からでも後ろからでも同じだが、この映画も回文の構造になっているという見方もあるらしい。

監督とスタッフがつくりあげた宇宙船やエイリアンの言語などには一見の価値がある。

テッド・チャンのSF短編小説『あなたの人生の物語』が基になっているという。ぜひ読みたいと思う。

2017年11月22日 (水)

「詩を書こう、詩を読もう。」詩集リスト

11月18日に所沢図書館本館で第18回図書館まつりが開かれ、松本邦吉さんと「詩を書こう、詩を読もう。」というイベントの講師を務めた。

6回目になる今年は「声」がモチーフ、あるいは自由なタイトルの詩。そのなかに朝の支度をリアルに描いた作品があった。

松本さんが「一日の行動を詩にすることは詩を書く練習になります」とおっしゃった。

わたしの場合はまずリビングのシャッターを開け、朝食の用意をする。

朝食はとてもよい詩のモチーフである。昼食や夕食の準備ではだめ。朝食は「breakfast」。儀式だからおもしろいのだ。たいていのひとは決まったものを食べるのではないかと思う。

応募作品は十編。高校生の作品も複数あり、少しずつレベルが上がってきたような気がする。

当日配布された冊子にお薦めの詩集を載せてもらった。くりかえし読んだ詩人の詩集、詩を書きはじめたひとに読んでもらいたい詩集は次の通り(所沢図書館所蔵に限定)。

  相沢正一郎『プロスペローの庭』(書肆山田)

  鮎川信夫 『鮎川信夫詩集』(現代詩文庫・思潮社)

  井坂洋子 『嵐の前』(思潮社)

  川田絢音 『白夜』(書肆子午線)

  小池昌代 『永遠に来ないバス』(思潮社) 

  辻 征夫 『萌えいづる若葉に対峙して』(思潮社)

  福間健二 『秋の理由』(思潮社)

  パウル・ツェラン 『パウル・ツェラン詩集』(小沢書店)

  松本邦吉 『灰と緑』 (書肆山田) 

  山本楡美子 『草に坐る』(土曜美術社出版販売)

井坂さんの『GIGI』や福間さんの『急にたどりついてしまう』、山本さんの『うたつぐみ』を挙げたかったが、図書館にはない。

パウル・ツェランの「夜のフーガ」は外国の詩に興味がないひとにもぜひ読んでほしいと思う。

2017年11月14日 (火)

「個人の記憶と集合的な記憶」

「詩客」のサイトに3回めの時評がアップされた。タイトルは「個人の記憶と集合的な記憶」。

福原伸一さんと池田善昭さんの対話集『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)を読んでいたら、福岡さんによるプロローグに興味深いことが書かれていた。

そこから始まり、今年度の詩集のなかで最も感銘を受けた岩成達也さんの『風の痕跡』(書肆山田)の感想を書いた。

「個人の記憶」をモチーフにした詩編が読者を強く惹きつける。カトリック神学や絵画の豊富な知識、深い知性が思索の森へと分けいっていくような詩集である。

一方、本年の話題作である河津聖恵さんの『夏の花』(思潮社)は集合的な記憶がモチーフになっている。

詩人は多くのひとが犠牲になった福島、広島、沖縄を訪ね、その地の花を歌う。力作であることは確かなのだが、集合的な体験を伝えることの困難を感じた。

というようなことを書いていますので、興味のある方は読んでください。

2017年11月 9日 (木)

パクチー・ライフ

.家族が畑を借りて野菜をつくりはじめた。カブや大根の葉の他、パクチーもたくさん持ってかえる。嫌いではないけれど、何だか洗剤のような匂いだといつも思う。カメムシの風味といわれているとか。

パクチーには虫がつかない。小松菜などは虫食いが多いのに、パクチーは無傷。取れたての柔らかいものをナンプラーやレモンのドレッシングで食べた。

パクチーを刻んだものを入れて肉味噌を作る。パクチーといえば海老。干し海老やむきエビが入ると、よりエスニック風になる。

肉味噌は豆板醤やオイスターソースで味つけをする。麺にもご飯にも合う。炒り卵やトマトを添えるときれいだ。もちろんトッピングとしてパクチーをたっぷりのせる。

毎週、収穫があるので、餃子や鍋にも入れてみよう。

女性にはパクチー好きが多いが、男性は加齢臭に似ているから苦手なのだそうだ。なるほど。

そういえば先日、外国の料理人のあいだでユズに人気があり、ワイルドな匂いがいいのだという。ユズには汗の成分が含まれているからだという記事を読んだ。

ヒトが好むのは身体に通じる懐かしい匂いなのだろうか。

2017年11月 5日 (日)

奥多摩へ行く

最近よく奥多摩へ出かける。青梅から少し足を伸ばせば奥多摩なのだ。こんなに近いとは知らなかった。

まず、かんざし美術館の駐車場に車を停めて橋を渡り、清流ガーデン澤乃井園へ。日本酒「澤乃井」の醸造元である小澤酒造の経営である。

多摩川の流れを見下ろす、ちょっとすてきな庭。緑の傘の下にテーブルがいくつか置かれた絵になる風景で、よく雑誌で紹介されている。

売店で日本酒や地域の名産品などを買うことができ、軽食もある。川沿いの遊歩道を歩く。水量の豊富な清らかな流れ。カヌーを漕ぐひとも多い。

ここはお薦めスポット。予約すれば酒造見学もできる。沢井駅から500メートルほど。歩いてみたが、駅周辺には店らしいものはなかった。

さらにその先、奥多摩湖へ。トンネルとカーブが続く。休日にはバイクが集団で走っていて、ちょっと怖い。道路沿いの飲食店はほぼ閉まっている。夏だけ営業するのだろう。

奥多摩湖周辺に店はない。「水と緑のふれあい館」という建物のレストランへ。「ダムカレー」が有名らしいが、売り切れ。ライスをダムに見立てた盛りつけというので、よくテレビで紹介されている。

奥多摩湖の正式名称は小河内ダム。小学校の社会の教科書に出てきた。昭和32年に竣工され、工事中に100人ほどが亡くなったという。

東京は奥が深い。奥多摩を極めるには時間がかかりそうである。

2017年10月19日 (木)

駒井哲郎展

埼玉近代美術館の駒井哲郎展『夢の散策者』に行った。

作品をまとめて見たのは初めて。駒井哲郎(1920-1975)は日本橋生まれの銅版画家である。銅板画(エッチング)というと白黒の、全体的に暗い小品を連想するけれど、黄色やブルーのものもあり、たいへん美しい。

駒井は1954年、パリに留学したが、西洋文明の豊かさと銅板画の伝統に圧倒されて、自分自身を見失う。帰国後にマチエール(画面の肌合い)を模索し、1960年に詩人の安東次男と詩画集『からんどりえ』『人それを呼んで反歌という』を制作した。すばらしいタイトルだと思う。

他にも埴谷雄高の小説『闇のなかの黒い馬』に関連する作品や金子光晴の『よごれていない一日』の挿画など、本の装幀や挿画にも力を注いだ。

「夢と現実。わたしにはそのどちらが本当の実在なのかいまだに解らない。」駒井の作品は幻想的で繊細、詩心をそそられる。

なかでも「鏡」という作品に惹かれ、何度ももどって見たのだが、画集には入っていない。ブラシで刷いたような黒い縁を持つ鏡。鏡面は白く、端に青い筋が一つ。その構図がいいなあと思った。

それで帰宅してからスケッチブックに描いてみた。木炭でトゲトゲの縁を、色鉛筆で筋を入れた。何とかそれらしくできたような気がする(?)。

何でもやってみたくなる質で、先日ジャコメッティを見たときは彫刻がやりたくなった。ジャコメッティはブロンズの彫刻だが、ブロンズは手に入らない。小学校のときによく使った緑色の粘土はどうだろう。でもベトベトしてるし、美しくないなあ。

指跡が残ったような、あの独特の質感を作ってみたいのだけれど。紙粘土はどうだろうなどと考えているところ。

駒井の作品はここに多数収蔵されているようなので、また展示を見ることができるかもしれない。

こぢんまりとした美術館の空間にふさわしい展示だったと思う。

2017年9月28日 (木)

ボブ・ディランのことば

所沢市立図書館の広報紙「復刊いずみ」に「ボブ・ディランのことば」というエッセイを書いた。

昨年ノーベル文学賞を受賞したディランが今年6月に記念講演を行い、世界中が安堵したことと思う。

その間、わたしもディランについて書かれたものを読んだり、CDを聞いたりした。「風に吹かれて」を聞いたのは小学生の頃だが、世界中にディランの影響を受けたアーティストがいて、彼らの音楽を呼吸してきたのだとわかった。

ジョン・レノンやジミ・ヘンドリックスアニマルズ、エリック・クラプトン等々、日本では吉田拓郎や奥田民生。

影響を受けた詩人も多い。ジョン・アッシュベリー(きっと)やアレン・ギンズバーグなど。日本では福間健二さん。まだまだたくさんいると思う。

マーチン・スコセッシが監督したドキュメンタリー映画『NO DIRECTION HOME』も購入した。

60代半ばのディランのインタビューとデビュー時からの映像をつないで、「時代の精神」を歌うアーティストの軌跡を見せてくれる。

どんなブーイングを浴びても「ユダ」と罵られても、先へ進むことをやめずに挑戦を続けたディラン。

小さな冊子にスコセッシ監督のインタビューが載っているが、「(現代の若者に)今、世の中で起きているあまりにもたくさんのことによって自分自身を吸い取られるなといいたいね」ということばに大きな共感を覚えた。

2017年9月21日 (木)

森茉莉さんのシジミ

シジミを見ると、紫の湯気を思う。何十年も前に読んだ森茉莉さんのエッセイにシジミのことが書かれていたのだ。

シジミを煮るとき、薄紫色の湯気がふわっと上がってきて、それは美しいものだという。母の購読していた婦人雑誌に連載される森茉莉さんのエッセイを毎月楽しみにしていた。見開きの片頁は有名なカメラマンが撮った写真。それ以来シジミを煮るときはつきっきりで鍋のなかを見るようになった。

当時、森茉莉さんは下北沢にお住まいで、高校生だったわたしはその辺りをうろついたりした。

手許に本がないので、先日、森茉莉さんの文庫本を購入した。『贅沢貧乏』(講談社文芸文庫)と『贅沢サヴァラン』(ちくま文庫)。シジミの一編をさがしてめくってみたが、どこにもない。

森茉莉さん(1903-1986)は森鴎外の長女。食を中心に書かれたエッセイはユーモラスでとても魅力的である。ゆっくり読もうとしても美味しそうな文字、牛酪(バタ)とか肉汁(スウプ)などが目に入ってきて、困ってしまう。

料理をしていて、わたしが美しいと思うのは煮えた里芋の色。柔らかいグレーだ。グレーのままにしておきたいけれど、醤油を入れなくてはならない。

また、ぬか漬けのキュウリの漬かり過ぎたもの。沼のような緑色に見とれる。火の通り過ぎたピーマンも同じような色になる。

薄紫もグレーも沼の緑色もどちらかといえば和の色だろうか。色が変化して素材がいちばん美しく見える瞬間に立ち会うのも料理の楽しみである。

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